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So-So の歩み

 
1987    秋 生田 卍(当時中央大学大学院で哲学専攻中)ロックへの情熱止み難くバンド結成。
11月 結成早々 南正人氏の前座。
 
1988    1月 (株)ベルと契約しシングル盤を制作。渋谷ライブインでデビューライブ。
10月 青森県六ヶ所村の核燃予定地でライブ。喜納昌吉氏の前座兼バックバンドをつとめる。
 
1989    1月 NGO 日本ネグロスキャンペーン委員会から、フィリピンの女性シンガー、デッサ・ケサダ嬢のコンサートツアーの企画を任される。もちろんSo-Soも共演したが、フィリピンのオルタナティブロックのすごさに圧倒される。
4月 脱原発東京の一万人集会で圧倒的支持を受け、ほぼ95年まで毎年出演する。
7月 架空の原発事故を扱ったシングルカセット「空が落ちてくる」発売。年末にかけて1000本完売。
12月 フィリピンの高名なシンガーソングライター、ジェス・サンチャゴ氏と共演。やはり、深く感動する。
 
1990    4月 カセットアルバム「猫ばやし」(KATZEN MUSIK) 制作。毎日新聞で紹介される。
7月 九州ツアー。各地の市民グループにより、八か所でライブ。
 
1991    5〜6月 生田曲作りを依頼され、フィリピン ネグロス島を旅する。マニラではオルタナ・シーンの大物たちと親交を結ぶ。
8月 ベルとの契約に変わり、新たに(有)スノーベアと契約 派兵反対のためのCDシングル「生命へ走れ!」緊急制作。
9月 アムネスティのシンポに招かれ、タイのカラワンバンドのスラチャイ氏やカナダのブルース・コバーン氏と知り合う。
 
1992    3月 マニラのライブハウスやフィリピン大でライブ。90年に知り合ったミュージシャンが多数駆けつけてくれ、忘れられないライブとなった
5月 初のCD「×だした○だし」制作。渋谷クワトロでライブ。
6月 江東区の深川座で生楽器だけのライブ。その楽しさを発見する。
7〜8月 デッサ嬢との第二次ツアー。(秋田、札幌、東京、京都、岡山 など)
秋から翌年にかけて、反PKOのイベントに呼ばれまくる。
 
1993    10月 元オフコースの大間ジロー氏の企画したビートルズ30周年のイベントに参加。稲垣潤一氏や野村ヨッチャンら、普段会わない人と親交を深める。
12月 上記企画でクリスマスコンサート。
 
1994    4月 同じ事務所にいた沖縄のギタリスト YUTAKA と渋谷 ON AIR WEST でライブ。これを最後に、スノーベアをはなれ、爽爽舎をでっち上げる。実体はないが、A-DAT 3台による録音システムをどうにか完成する。
9月 日本のオルタナティヴな仲間たちとの連携をさがすため、東中野の「ポレポレ座」で、シリーズ企画「ロックン料理ショー」をはじめる。毎回多彩なゲストを迎え、好評を得る。5回行ったが、会場が閉鎖することになり中断。(〜96年)
12月 香港の反体制ロックバンド・黒鳥(ブラックバード)のリーダー、レニー郭が飛来し、香港返還をにらんだ彼等のアルバムへの参加を要請される。早速、東京でレコーディングを開始。
 
1995    3月 生田が、レニーに呼ばれ、香港でライブ。帰りに、ソウルで、ストリートライブを敢行。300人を超える人が集まってくれた。
7月 黒鳥のアルバム完成記念ライブに参加。沙田大会堂(2000人)がほぼ一杯になる。テレビや新聞の取材が相次ぐ。
12月 香港のレーベルGIGのオムニバスアルバムに参加。
12月 在日のフィリピン人のイベント「サリンバヤン」を開催する。
 
1996    1月 「叫ぶ詩人の会」とともに神戸の震災チャリティライブ。(ON AIR WEST)
3月 ネグロスキャンペーン10周年の記念コンサート。(with Dessa)
7月 フィリピンのオルタ・ロックの大物、ペンドン率いるグルポン・ペンドンの招待でマニラでライブ。全国放送のライブ番組のゲストもつとめる。マニラの代表的ライブハウス 70’S BISTRO には、ジョーイ・アヤラ、ノエル・カバンゴンそれにデッサというスターたちが駆けつけてくれ、朝まで盛り上がる。
9月 朴保&切狂言、寿とともに、慰安婦問題のライブに参加。
 
1997    2月 返還を目前にした香港から黒鳥を迎え、ライブとシンポを行う。時節がら、関心を呼ぶ。このコンサートには、寿、The NEWS など、日本のオルタシーンの仲間たちが参加、あらたな展開の可能性を感じる。MXTVによって、この一連のドキュメントが放送される。
6月 インターFMのラリー・ロンドンの番組に生田がゲスト出演。デッサとの共作「モーニング・グローリー」が何回か放送される。
6〜7月 生田が、NHKの「素晴しき地球の旅」のレポーターをつとめることになり、フィリピンに40日間のロケ。内容は、先住民の音楽を紹介しつつ、マニラでは グルポン・ペンドンのライブも紹介。90分の見ごたえのある作品。アエタ族という先住民の精霊の儀式など初めて紹介される貴重な映像を含む。 (11月に放映)
 
1998    1月 NHK「素晴らしき地球の旅」の延長として、生田がNHK教育のETV特集に出演。先住民の文化の保存等について語る。その際、番組のテーマ音楽として「ダイング・サイレント」が使われ、放送終了後、曲についての問い合わせが10件を上回る。二本の番組を通して、各地からの問い合わせなどから、今までになかったネットワークが広がる。
3月 前年のネットワークを生かし、寿、国分寺エクスペリエンス、李政美、知念良吉、村山二朗らとともに「名護にヘリポートはいらない」をテーマにシングルCD「海よ、いちまでぃん」を製作。他に「日米新ガイドライン」をおちょくった「No ! No ! ガイドライン」を収録。完成間近に元海兵隊員のアレン・ネルソンさんが参加し、ブルースを録音してくれた。
4月 CD発売。
5月 完成したCDを引っさげて初の沖縄ツアー。沖縄各地でライブ。
8〜9月 九州各地ライブ。
11月 篠笛の村山二朗率いる「レブンカムイ」とジョイントライブ。日本発の土着の表現の可能性をともに探ってゆく一歩とする。
12月 フィリピンのアムネスティに呼ばれ、国際人権デーのライブに出演。その時若手のパンクバンド「アガウ・アギマット」と意気投合し、そのまま彼等のレコーディングにまでつきあう。 
 
1999    4月 「アガウ・アギマット」の招待で、マニラでライブ 日本から、寿も参加する。グルポン・ペンドンの尽力でマニラ近郊のゴミの山パヤタスを訪れるなど、中身の濃いツアーとなった。
7月 札幌、名古屋でライブ。趙博の演奏に衝撃を受ける。
8月 久々に来日したデッサ・ケサダと九州ライブ。生田はこの時の縁で、故郷長崎のラジオ番組に毎週出演する事になる。(現在にいたる)
10月 国労まつりに呼ばれる。
12月 労音ライブ。この頃より、ベース、ドラムの両方が固定メンバーを離れる事となり、生田、愛染中心のアコースティックユニットとなる。
 
2000    1月 生田故郷長崎のライブで、前年にした「諫早湾をテーマにした曲を作る」という約束を果たす。始めて長崎弁を全面的に使った「がたんふなうた(潟の舟歌)〜水門をあけに行こう」がそれ。地元で大きな反響。
3月 生田初めてNHK教育番組の通年テーマソングを担当。6年の理科。
8月〜9月「がたんふなうた」を引っさげての九州ツアー。
 
2001    3月 6年に続いて4年の理科のテーマ曲も担当する。
 
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